Story①『看護の経験を重ねる』編

プロフィールに書ききれなかった内容を、3つのStoryに分けて綴っています。

 

Story①では、初めて就職し、看護師として経験を重ねていた時期の内容です。

 

最後まで読んでいただけると嬉しいです!

 

 

看護学校を卒業後、20代の前半はがんセンターや総合病院の病棟で、がん看護・周手術期の看護に携わります。

 

振り返ると、20代前半は、自分の看護師としての土台となる経験をさせてもらった時期でした。

 

知識や看護技術・業務全般はもちろんですが、自分が大切にしたい看護観や人間観の軸が育まれた時期。

 

初めての勤務は、国立がんセンターの頭頚部外科病棟でした。

 

舌がんや喉頭がん等の頭頚部領域の治療後は、声を失い(失声)代用発声が必要になったり、

食生活・日常のコミュニケーションなど含め、生活や人生が大きく変化される方もいらっしゃいます…。

 

それを受け入れた上で、治療を選択し生きていく…

体験された人にしか分からない苦しみや、やるせなさがあると思います。

 

命と向き合いながら、今の現実を受け入れていく患者さんの姿・言葉に『人の強さ』を感じ、心が揺さぶられました。

 

看護師は、そのような場面に関わらせて頂く仕事なんだな…と胸が熱くなると同時に、身が引き締まる思いになったのを覚えています。

 

その後、地元北海道へ戻り、総合病院の病棟勤務に転職します。

 

心臓血管外科・一般外科の混合病棟で、術前・術後の看護処置やケア、全身状態の管理・緊急時の対応をしながら、回復期は退院に向けての生活指導やリハビリなどもあり、とにかく多忙な毎日でした(;^_^A

 

時に泣いたり笑ったりしながら、患者さんご家族、先輩・後輩に育てられ、

同僚の仲間の存在に支えながら、経験を積み重ねていきました。 

 

共通して思うのは、その時々の健康レベルに合わせて関りは違えど、

患者さんの『元気になる力・回復する力』を最大限に発揮できる環境作りをしているということです。

 

『その人の元気になろうとする力を最大限に発揮できる環境作り』をサポートするのは、私の中の大事な看護観の一つとなりました。

 

よく働き・よく学び・よく遊び・飲みました(笑)

 

その頃から、少しずつ今後の働き方など、進む方向性への悩みがでてきます。

 

人によって様々ですが…

  • 看護師としての専門性を極めていく
  • 現場が好きなのでジェネラリストとして経験を重ねる
  • 管理職の道を歩むか
  • 結婚して家庭生活を大切にできる働き方を選択する
  • 疲れたから、一度退職してちょっと休もう

等など。

 

私自身は、その時は特に極めたい専門性もなく、漠然と将来に対する不安がありました。

 

女性の多い職場なので、共通して『結婚』というテーマもよくでてきました(;^_^A

 

その後、海外旅行がキッカケで、すっかり異文化に魅了された私は、

ご縁が繋がって、翌年にワーキングホリデーでオーストラリアへ渡豪します!

 

様々な国の人や文化に触れて視野が広がり、自分の中の『こうあるべき』という思い込みにも気づきました。

 

帰国後は、私自身の価値観も変化しており、働き方にも影響を与えます。

今振り返ると、この時は自分の中の大きな転機の一つでした。

 

最初は元の職場に再就職させて頂き、夜勤をしながら3交代で働き始めます。

 

すっかり日中に活動する生活に馴染んでしまった私の体は、夜勤をすると不整脈が頻発するようになりました。

これは体からのSOSサインだわ…と感じました。

 

20代の後半というと、一般的には経験を積み重ねて、看護師としてのキャリアを形成していく時期です。

私自身、その時はとくに極めたい専門性も上昇志向もなく…

 

『健康第一』と思い、夜勤のない外来勤務への移動を希望しました。

 

今風にいうと、ワークライフバランスを意識した働きかたになるのでしょうね。

当時はまだそのような概念はなかったので、ちょっと変わった?自由な看護師に見えてたかもしれません(;^_^A

 

そんな中、晴れて移動先の外来では、内科・消化器科外来の他に、糖尿病の専門外来に携わることになります。

先輩の影響を受けながら、糖尿病療養指導士の資格も取得し、専門外来で『フットケアや生活指導』に関わます。

 

継続して1on1での個人面談生活指導に携わる経験は、その後の自分の働き方にも大きく影響していると感じています。

 

その後、教育に関心を持つようになり、ご縁があって、30歳を過ぎた辺りで看護教育に携わります。

看護師の経験をいかしながら、教育の分野へ新たなステップでした。

 

専門学校の専任教員は、クラス運営から、授業・実習指導の担当はもちろん、各種行事、会議・日々の生活のサポート等、多岐にわたっての関わりがあります。

  

初めての教育の現場に飛び込んだ私は、学生さんと一緒に日々悩んだり、時に学生さんの存在に支えられたり…。

頼りない教員だったと思います(;^_^A

 

同時にその時に培った『共に悩み一緒に考える』というスタンスは、人との関係性の中で私が大切に意識する要素になりました。

 

また、関連研修での学びで、自分が『文化人類学』『死生学』に関心があることに気づきます。

その後担当した授業の中に、『死』に関連するテーマを扱う授業があり、若い学生さんにどう伝えるかなど模索しました。

 

そんな中、当時はこの仕事を長年続けるんだという気持ちでいたのですが、

結婚を機に退職することに…。

人生で一番ぐらい?大きく悩みましたが、 職場の上司の理解の元、新たな一歩を踏み出すことができました。

 

結婚後は、北海道内で短期間に引っ越しを2回することになります。

(のちに『星読み』を学ぶのですが、この時期は、まさに私の私生活にとって一番大きな節目でした)

 

⇒Story②『パラレルキャリア』編